都市投影劇画 ホライズンブルー Horizon Blue

●あらすじ

1990年 東京。
男性を恐れながら生きてきた春子は、些細な できごとから、同じ会社に勤めている 年下の啓介と交際することになった。
啓介との間に子どもができ、あわてて啓介に うながされ 結婚した春子は、長女・由季を出産。
啓介の留守中、慣れない初めての育児に 一人で苦しんでいた。

赤ん坊の由季が大きな声で泣き出すと、思わず叩いて泣き声を止めたり、由季を浴槽の中に落としたりしてしまった。
春子には、相談できる友達はいなかった。
春子の母親と、啓介の母親は、何かにつけ、春子に介入してくるので頼りたくなかった。

鬱が日増しに酷くなり、啓介の母親の要請で、由季は啓介の母に預け、春子は総合病院(内科)を受診した。
どこにも異常はなかった。今度は 区の保健所のケースワーカーの勧めで精神科を受診したが、鬱は改善されなかった。
春子は様々な精神科を転々とするばかりだった。

自分の生き方に介入してくる母親と、子どもの頃から 自分より母に愛されていた妹・秋美の声が、時々頭の中を かすめた。

ある日、鬱屈した想いが爆発し、啓介と激しく衝突した春子は、都立病院の精神科病棟に強制入院させられる。
数日後、退院した春子は、生と死の境をさまようかのような、絶望の日々を送っていた。

そんな時、再び保健所のケースワーカーが、新しくできた家族問題専門の精神科診療所を紹介する。
医師のカウンセリングにより、今まで忘れかけていた春子の幼児期・子ども時代に受けた心理的虐待体験がよみがえってきた。

1990年頃、全国では同じ体験を持つ人々が、回復のためのグループを作り始めていた。「アノニマス」と呼ばれる匿名原則の集まりである。
そこに参加していた春子は、ようやく 母親と正面から対話する日を迎えた。
そこで母親の口から語られた出来事は、まったく予想外のショッキングな内容であった。



●解 説

 「HORIZON BLUE」は、漫画家・近藤ようこ氏により、長井勝一氏が初代社長だった時代の「月刊漫画ガロ」(旧青林堂発行)の 1988年9月号から1990年1月号まで連載。1990年4月に同社から単行本化され、その後、青林工藝舎から1999年9月に 「ホライズンブルー Horizon Blue」として再発売された。

 映画版「ホライズンブルー」では、原作の人間ドラマに加え、マル・トリートメント(Mar Treatment)、 アダルト・チルドレン(Adult Children)などに さらに焦点をあて、児童虐待・機能不全家庭の当事者 20名の体験談をもとに、1995年に脚本が執筆された。 当時、主人公「春子」と同じ体験・想い・苦しみを内面に抱えた母親が、数え切れないほど たくさんいたのである。
 本作品は「プレスコ (事前録音)」方式だったため、脚本完成後、36名の声優によって、すべての台詞(せりふ)が 1996年〜1998年に録音された。

 脚本と 録音した台詞は、計 4時間だったが、それを半分の 2時間に縮め、24年かけて 一人の自主映画作家が 仕事の合間に 絵や音を付けた。
 本作品は 絵が動く部分もあるが、基本的にアニメーションではなく、紙芝居形式の絵に 実写を交えた映像になっている。
 製作母体・霧生館では、この紙芝居的な表現形態が、原作の絵をそのまま映像化した第3創造社・森田童子氏らによる「幻燈劇画」(原作 つげ義春) 、大島渚監督による「フィルム劇画」(原作 白土三平) などの延長線上にあると考えており、ジャンル名を「都市投影劇画」と名付け 併記している。

 また、映像が アナログからデジタルに移り変わる長い年月に制作されており、フィルムやビデオなど、様々なメディアが併用されているほか、 作品内で描かれている内容に合わせ、「相互模索 セミ・アノニマス方式」と呼ばれる、 非商業的で市街劇的、市民主体の 特殊なコミュニケーション法(観念の都市迷路化法)により公開される。
 この作品の情報に接した瞬間から 市街実験が開始される。

 本作は、大人のための、手作りの実験紙芝居、大きな質問・問いかけとして製作されている。
 日本の社会、人間、そして家族について、もう一度考える きっかけになれば幸いである。





(c)1995-2019 Yoko Kondo,Kiryukan


「ホライズンブルー」雑誌連載当時の表紙の一部
(c)1988-1900 Yoko Kondo


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