<霧生館と座敷牢 これまでの流れと経過記録>

●1992年 「地下幻燈劇画少女椿」の制作費捻出のため文化庁芸術文化振興基金(助成金)申請するも却下。(後年「座敷牢」「ホライズンブルー」も却下)。理由求めるも非開示。
●1992年 「地下幻燈劇画少女椿」初興行。「密閉映劇霧生館」旗揚げ。直後から「座敷牢」の脚本を執筆開始
●1993年 淡路人形資料館ほか、複数個所に取材。絵コンテ完成後 作画開始
●1993年 原田氏、都の指定難治性疾患発症。入院。稀少難病者の会に入会。当事者による学習会等を通じ 全国の難病の人と出会う(現在も通院中)
●1994年 「地下幻燈劇画少女椿」京都上映後、宅配業者のミスで16mmプリント紛失。示談成立済
●1994年 原田氏が勤務していた映像・音声制作会社が倒産
●1994年 霧生館、豊島区から足立区に移転
●1994年 「地下幻燈劇画少女椿」中野武蔵野ホール興行を契機にアンダーグラウンド形式をやや薄めた情宣チーム「KIKAシネマ」設立。
     (1999年「ホライズンブルー」を契機に「きゆばる」と改名)
●1995年 原田氏、鬱病と睡眠障害で精神科に通院開始。診療所・研究所・連絡会・自助グループを通じ多くの障がいを持った人々と出会う(現在も通院中)
●1995年 霧生館、足立区から荒川区に移転
●1995年 社会で陰惨な事件が続くため「フィクションの前に現実的な問題提起を」と「座敷牢」と並行して「都市投影劇画ホライズンブルー」を制作開始
●1996年 「ホライズンブルー」台詞を先行録音(現在生産中止になった、MiniDisc、DATで録音)
●1997年 原田氏、2回目の入院(救急搬送)
●1998年 原田氏、荒川区から北区に移転。しかしアパート1階では母親による壮絶な幼児虐待が連日行なわれ、主治医と相談して練馬区に移転
●1998年 少女椿・座敷牢の下北沢スズナリでの上映の打診があり「ホライズンブルー」を一端中断して「座敷牢」制作再開
●1998年 「座敷牢」台詞を先行録音(現在生産中止になった、MiniDisc、DATで録音)
●1999年 原田氏が勤務していた広告会社、倒産
●1999年 サンセバスチャン国際ホラーファンタジー映画祭終了後、成田税関で「地下幻燈劇画少女椿」フィルム没収・破棄。
     国内輸入禁止・上映禁止の書類が霧生館事務所あてに届く。関税法69条違反との電話回答
●1999年 政府は、これまで全額公費助成だった難病医療費の有料化を開始
●2000年 原田氏の取引先のゲーム会社が120万円の未払いを残し倒産
●2000年 下北沢スズナリで「座敷牢」を1日のみ上映(1時間の短縮版)。
     霧生館は常に入場料を低く設定したため、1992年から2000年まで「少女椿」の赤字は約1千万円となる。以降 約 8年間、原田氏が月々の収入から分割返済。
●2000年〜2007年 海外から「少女椿」の招待上映や、日仏合作「カリガリ博士」制作依頼等の打診があり「座敷牢」「ホライズンブルー」たびたび中断
     「カリガリ博士」はフランスのジャン・ピエール・ディオーネ氏プロデュース、丸尾末広原作で脚本まで進んでいたがある事情で中止に
●2001年〜2003年 テレビ「星のカービィ」の演出で制作会社に在籍。自主制作が3年間中断。ただしテレビアニメのデジタルフォーマット数値をこの時学ぶ
●2003年 イラク戦争。原田氏、2本のテレビアニメの担当中の話数内に「戦争抗議」のメッセージを入れる事を試みる
●2003年〜2006年 テレビ「妖怪人間ベム」の企画に参加、4年間自主制作中断。「妖怪人間ベム」のOPにはイラク戦争や環境破壊の映像が描かれている。
●2004年 「地下幻燈劇画少女椿」DVD化のためマスターテープをフランス送付の際、成田税関が、ドゴール空港あてに「要注意貨物・要チェック」という書類を添付、
     それを受けドゴール空港がマスターテープを「わいせつ物」として没収。フランスDVD会社の社長ジル氏ががカンヌに参加中だったのでジル氏が
     「少女椿はカンヌ映画祭に関係する作品。フランス人として恥ずかしくないのか」とドゴール空港に伝えたところ2週間後に返却
●2004年頃 原田氏が巧みにT警察署の取調室に誘導され 4人の刑事に「少女椿は問題だ。おじさんと少女が並んで写っているだけで問題だ」とハラスメントを受ける
●2004年 原田氏、8月に3回目の入院・手術(集中治療室)。11月に4回目の入院・手術
●2005年 障がい者に一律自己負担を課す障害者自立支援法案が閣議決定、2006年施行。それまでは無料もしくは応能負担だった
●2006年 フランスでMIDORIのCD(1月レザードノア)とDVD(2月シネマルタ)発売
●2007年〜2009年 フィルムやビデオの生産中止が相次ぎ、それらによる撮影をあきらめ、パソコンを購入。3年間独学でデジタル撮影・編集を研究・訓練
●2008年 リーマンショック。仕事が不安定になり、税金や物価の高い東京都で生活ができず、霧生館、埼玉県のはずれに移転
●2010年 原田氏の取引先のアニメーション制作会社が未払いを残し倒産
●2010年 突然 改定された 東京都青少年の健全な育成に関する条例に、条文上違反する事になり「座敷牢」の制作を中断。「ホライズンブルー」は制作続行
●2011年 東日本大震災 福島第一原子力発電所が爆発。原田氏、再稼働抗議の路上行動に参加し始める(後に政府の監視法案や戦争・空爆抗議等の活動に参加)
●2012年〜2017年1月「ふるさと再生日本の昔ばなし」に演出・作画等で参加。約5年間、自主制作が中断
●2013年 デジタル画面をフィルム風に見せる特殊フィルターを独自考案。「日本の昔ばなし」担当回や「ホライズンブルー」に活かされる
●2013年 IMAGICAの倉庫で「地下幻燈劇画少女椿」の16mmネガ・フィルムが発見される。カナザワ映画祭によってニュープリント制作
●2014年 原田氏の母堂(群馬県在住)入院(以降、認知症・車椅子・要介護の状態に)
●2017年 自主制作に専念するためアニメの仕事を降板。外部接触や仕事の依頼を断り、年収60万円に下げ連日アトリエに籠る完全個人製作の体制に変更
 
(以上「霧生館私家版座敷牢全記録」「スズナリ興行会議記録」「霧生館私家版ホライズンブルー全記録」「制作日誌」等より抜粋。 以下は2018年に開設した霧生館ウエブサイト等より抜粋)
●2018年11月 原田氏の母堂、死去
●2019年3月 原田氏実家を売却。母堂の確定申告含め約400万円近い税金を支払う。
●2019年4月 母堂が施設入居後、実家は空き家になり水道管が老朽化。解体に伴い開栓した所目視できない川辺に水道料金76万円分の水が流出。
       水道局から76万円を請求されそうになるが、2週間の協議の末、過失でなく事故と主張する職員の意見が通り、基本料金のみに。
●2019年7月 「都市投影劇画ホライズンブルー」完成。以降半年間、上映・情宣活動
●2019年10月12日 「都市投影劇画ホライズンブルー」東京初日、大型台風直撃のため上映中止
●2019年12月 「地下幻燈劇画少女椿」公式デジタル版制作(映画館がデジタル上映に移行し、16mmフィルム、βcam、miniDV上映ができなくなったため)
●2020年1月 「極彩色肉筆絵巻座敷牢」制作再開
〇2020年1月16日 生産中止となった機材で撮影・録音された座敷牢の撮影済素材と音声素材(miniDV、 Hi8、8mm-video、SVHS、VHS、MiniDisc、DAT )全データの所在確認。
         全ての元データは見つからなかったが予備のMiniDiscに不足分の音声の確認作業。音声をすべてパソコンで録音しデジタルファイル化。
〇2020年2月17日 見つかった台詞素材からOKテイクを選び脚本の順番通りに並べる音声編集作業完了
〇2020年2月18日 上映時間を少しでも短くするため、脚本・台詞(2時間26分)の削除作業(再編集)を開始。約30分の場面をカット
〇2020年2月21日 上映時間「1時間55分(4分休憩含む)」が仮決定
〇2020年3月27日 全体の10分の1が完成
〇2020年3月29日 上映時間「2時間10分(4分休憩含む)」に変更
〇2020年5月04日 再撮影作業、半分まで進む
〇2020年5月19日 全体の10分の2が完成
〇2020年6月中旬 ある映像業界の方がホライズンブルー社内上映の後、善意で京都新聞、産経、日経各大阪支社に善意で上映ブルーレイを
         「要返却」を念押して貸したが、返却してくれたのは京都新聞だけで、それ以外は催促しても以降2年以上も返却されていない
〇2020年7月05日 客入れ時間にもアニメーションが投影される事になり「総カット数 1700枚→1800カット、総枚数 5万枚→6万枚」と公式表記を変更
〇2020年7月15日 全体の10分の3が完成
〇2020年8月14日 スキャンに約1カ月かかった計約17時間半の8mmフィルムの編集ほぼ終える
〇2020年8月15日 全体の10分の4が完成。約200時間あるビデオ部分の編集を開始
〇2020年9月17日 当初の予定である全1800カットの10分の5(1/2)が完成
〇2020年10月4日 3面マルチスクリーン部分が大幅に増え、総カット数:1800カット→1900カット、総上映量:延べ 3時間→5時間に変更
          なお 全1900カットの半分にあたる 950カットは、2020年10月1日にすでに完成している。
〇2020年10月8日 3面マルチスクリーン部分が大幅に増え、総カット数:1900カット→2000カットに変更。10月8日に、全2000カットの半分:1000カットが完成
〇2020年10月12日 YouTubeにより不当永久凍結・動画全削除された動画のバックアップを何方かが作って下さったようです。アメリカの多数の公的機関の援助で
         非営利運営する「Internet Archive」で視聴可能。「YouTube用字幕」も表示可能。
〇2020年10月29日 3面マルチスクリーン部分が大幅に増え、総カット数:2000カット→2200カットに変更。10月29日に、全2200カットの半分:1100カットが完成
〇2020年12月17日 総カット数:2200カット→2300カットに変更
〇2021年1月2日 過去10年間の作画済み素材の加筆・再撮影作業がほぼ終了。全体の10分の6が完成
〇2021年1月3日 ホライズンブルー完成から1年半ぶり、制作中断から10年ぶり、制作再開から1年ぶりに新作作画開始
〇2021年2月 MIDORI Official DVDの交渉を開始。フランス、ドイツ、イギリス、アメリカのDVD会社が応じたが 以降 数年、途中から返信が来ず
〇2021年2月25日 霧生館のノートパソコンが全壊。過去のメールや資料消える。座敷牢データは無事
〇2021年5月14日 「二度と目覚めぬ子守唄」DVD(工場プレス版)発売
〇2021年6月21日 全体の10分の7が完成
〇2021年7月4日 きゆばる YouTubeアカウント 不当凍結
〇2021年7月6日 原田氏難病悪化。新薬投与による治療開始
〇2021年8月15日 座敷牢の残りカット(総カット)を再計算したところ、2300カットではなく、1340カット多い「3640」カットになる事が判明
〇2021年11月8日 座敷牢 特報 第二歌をビメオで公開
〇2022年1月 ビメオのトップページに新規投稿動画が表示されなくなる
〇2022年2月 2007年より勤務した武蔵野美術大学を退任
〇2022年3月下旬 座敷牢のテスト動画がTwitter検索から削除される
〇2022年5月9日 「地下幻燈劇画少女椿」2枚の画像がTwitterから削除されているのを確認
〇2022年5月10日 wikipediaで編集デザイナーほうとうひろし氏が執筆したホライズンブルー、座敷牢の項目が消される
〇2022年5月15日 全体の10分の6が完成
〇2022年6月14日 日米軍の大規模軍事訓練開始。以降、霧生館アトリエ上空に15分置きに戦闘機とヘリが低空飛行。1日に約100機通過の日も
〇2022年7月4日 きゆばるエキサイトブログの投稿・管理画面にアクセスできなくなる→7月16日に復旧。ファイヤ―フォックスのアップグレード新機能が原因と判明
〇2022年7月19日 原田氏の難病の悪化がこれまでで最高値に。さらに新薬投与を開始。座敷牢数日作業中断
〇2022年7月下旬 「座敷牢」制作状況のページのタグ内に「NOWAR」を加えたところ、約2週間後にGoogle検索「極彩色肉筆絵巻 座敷牢」トップから除外される。
         ページのURLを直接検索に入力すれば表示される。このような現象は2012年頃から確認されている
〇2022年8月8日 「極彩色肉筆絵巻 座敷牢」制作進行状況 1」のページが削除されているのを確認。再アップロード
〇2022年8月9日 Google検索に制作進行状況のURLを打ち込むと「ZASHIKIRO NO WAR 極彩色肉筆絵巻 座敷牢 - 密閉映劇霧生館」と表示されるが
         「 - 密閉映劇霧生館」はGoogleの加工によるもの。ページ内にそのような表記は無い
〇2022年8月18日 全体の約10分の3の編集が完了
〇2022年10月29日 イスラエル政府・軍の目に余るガザ攻撃のため路上プロテスト復帰
〇2022年11月16日 全体の10分の7の作画が完成
〇2022年12月15日 タンブラーにアカウント開設
〇2022年12月21日 「霧生禁色裏画報」第一稿概要をブログで公開
〇2023年3月9日 セキュリティ・ソフト「ウイルスバスター」最新版アップデートで 「霧生館」全ページが「禁止するWebサイトリストに登録されています」 という表示が出るようになる
〇2023年6月23日 全体の10分の8の作画が完成
〇2023年7月2日 「限りなき楽園」フィルム修復作業完了。配信
〇2023年8月18日 「座敷牢」特報 第三歌 公開。
〇2023年9月16日 「限りなき楽園」フィルムスキャン版 公開
〇2023年12月11日 原田監督撮影のデモ映像が、中東・欧米メディアで引用されはじめ、以降数百万回以上再生される
〇2024年2月17日 ブルースカイにアカウント開設
〇2024年3月25日 次作表題「地下迷宮裏画報BOO」に決定。(旧題は霧生禁色裏画報)





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