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「日本の独立系アニメーション」
(フランスの日本アニメーション&コミック専門情報誌「TSUNAMI(ツナミ)」1996年9月号)
日本でもアニメの制作に関して困難が多いこと、また、この分野での技術者の身分の不安定なことに疑いの余地はない。
危機的状況にある日本のアニメ界。別の意味で危機的状況にある日本映画界。そのなかでアニメの制作現場では「技術の分散化」旋風に見舞われている。
ここで原田氏に質問。「才能まで風化していますか?」
まず日本の自主制作アニメについて触れてみよう。この日本の未知の動きを、我がフランスで最初に発見したのは「何事にも興味を持つ」
という、ほんの一部の観客たちだけであった。
その最初の出会いは「第2回 フランス・オルレアン日本映画祭(1995年1月)に出品された成人向けアニメ「少女椿(海外版タイトル:少女ミドリの不思議な世界)」(丸尾末広氏による
同名劇画が原作)であった。
照明事情も悪い、昔の都会の裏町で、不幸の星のもとに生まれたミドリは、ガード下で花売りをしなければならなかった。
ミドリの父は失踪、病弱の母は死亡…。
ミドリは生きるために、見世物の興行師を訪ねる。彼らは親切なことに面倒を見てくれるというのだ。しかしそれは罠であった。
半胴体人間、両性人間、傷痍軍人、小さな瓶の中に自由に出入りできる魔術師、額に「鬼」と書かれた怪物のような見世物芸人たちに囲まれながら、
ミドリは残忍で醜悪な迷宮世界へと入っていく…。
「霧生館」と呼ばれる小さなスタジオで製作されたこの「少女椿」は、日本の主要都市(東京・大阪・名古屋・京都・福岡)で上映され、
東京国際ファンタスティック映画祭にも出品、さらにヘルシンキ国際映画祭からも招待の申し出があった。
独立プロ作品であるにもかかわらず、このフィルムは誰もが無視できない突破口を見出したのである。
スタジオの代表・原田浩氏は、社会や政治への参加に積極的な人物である。商業アニメーションの労働組合「映産労」に加盟し、
テレビアニメ制作の予算増額のためのテレビ局への申し入れ行動に参加したり、アニメ技術者の労働条件改善のために活動した経験を持つ。
原田氏は1962年6月13日生まれ、群馬県出身。高校時代から8ミリカメラでアニメの制作を始めた。
東京のデザイン学校を卒業後、スタジオ・メイツに入社。このスタジオの社長が「宇宙戦艦ヤマト」の作画監督の小泉謙三氏であった。
彼は以後数年間、アニメーターとして働き、多くのテレビアニメや劇場アニメ(ドラえもん、キャプテン翼、めぞん一刻…)の制作に関わってきた。
その後にスタジオ・メイツを退社。自らの独立プロ・霧生館を設立。他の独立プロ作品の制作にも協力した。
霧生館は、アニメ技術者の「再雇用システム」を提起した。日本のアニメの70%は、韓国、東南アジアをはじめとする外国諸国の下請けで賄っている。
日本のプロダクションは、少しでも利益を上げようと、海外に発注してしまうのである。
日本のテレビアニメが最初に制作されたのは、手塚治虫氏の作品だったが、当時は制作費も今ほどかからなかった。
しかし現在まで、テレビアニメ制作費の増額は実現されていない。
現在では、韓国と関係が深いディズニー社をはじめ、アメリカの製作会社、日本の製作者たちは、人件費が安い国(フィリピン、インド、オーストラリア、
中国…等)の制作会社への発注を優先してしまう。
その結果、長い伝統に支えられ、豊かな才能、高い技術力を有しているにもかかわらず、日本のアニメ技術者たちは、30歳になる前に
転職せざるを得なくなる。
ただし、宮崎駿氏らは、作品の売り上げで得た資金でスタジオ・ジブリを創設。ここで若い技術者の養成に力を入れ、これらの問題に応えた。
霧生館では、転職を余儀なくされたり、アニメの夢を忘れかけた古手の技術者を雇った。また他でアニメの仕事が見つからなかった若い人たちも呼び込み、失われたアニメへの
理想、彼らの情熱を活かせる「家内制手工業」的な独立系のアニメシステムを構築した。
「少女椿」は、この「自由参加」によるアニメ制作システムの4年間の労働の結晶である。
この他、霧生館が制作協力しているボランティア制作アニメでは、現在、ビデオゲームに囲まれた今日の児童に向かって語りかけている。その趣旨は、
子どもたちに生き物とのコミュニケーションの魅力を再発見させることにある。
「ホライズン・ブルー」(制作:霧生館/著作:近藤ようこ)
このフィルムは同名の漫画(青林堂より出版)を脚色したものである。
幼児期から思春期に受けた心理的外傷(トラウマ)ゆえに、一生悩むという問題を主題としている。
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あらすじ…
幼児期からいつも美しくて陽気な妹・秋美と比較されて育った春子は、内向的で怖がりな娘であった。自分を醜く魅力が無いと感じていた
彼女に、年下の男性・啓介が接近する。結婚、そして出産。
始めのうちは子どもを可愛がっていた春子も、少しずつ、子どもを愛せなくなっていることに気付いた。
鬱に陥る春子。やがて子どもに暴力を振るうようになる。医師の診察を受けるが状況は好転しない。世間は春子に「失敗した母親」の烙印を押す。
しかしある精神科医は、春子の病気の原因は「家族関係からくるもの」と説明する。特に彼女の母親から…。
春子は、日本にはこのような心理的外傷(家族内トラウマ後ストレス性障害)に苦しむ人間が多いことを知る。そして
勇気を持って、自分の過去と向き合い、この外傷から立ち直ろうと決意する。
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この主題は、他のプロダクションやアニメ業界一般の興味こそ引かなかったが、原田氏には、物語のヒロインと同じ問題に
悩む人達に対する連帯感を、アニメを通して発信しようとする欲求があった。
「私たちがやっていきたいのは、大企業がカバーしたがらない主題を扱う作品を制作することです。
私は、私たちと同じ考えを持った自主的なグループが、私たちの例に続いてくることを期待しています」…原田氏はこう語った。